新しいお札の顔として一躍注目を浴びるようになった津田梅子さんですが、どうやらお隣の韓国を蔑んだ発言があったとの情報が。わざわざ蔑むとなるとどんな深い関係があったのでしょうか。
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津田梅子は韓国を蔑んではいなかった!?
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津田梅子さんは、日本婦人米国奨学金制度を設立し、日本の女性にアメリカでの高等教育の機会を提供しようとしています。実はこの制度を利用した女性の中に朝鮮半島出身の女性もいました。もし津田梅子さんが朝鮮半島(韓国)を蔑んでいたら、朝鮮半島出身者ではこの制度は利用できていなかったものと考えられます。
そして津田梅子さんは、日本における女子教育の発展のため、女子英学塾(現在の津田塾大学)を創設しています。この学校では、英語だけではなく、歴史や地理といった教養科目も教えていました。その中には朝鮮半島の歴史や文化についての内容も含まれています。
当時の日本における朝鮮半島の植民地化に反対する立場として、そういった活動をしていましたが、残念ながら時代の中に埋もれてしまったようです。
よって津田梅子さんは、朝鮮半島(韓国)を蔑んではいなかったのだと言えます。
津田梅子が韓国を蔑んだと言われる理由
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そのような活動をしていた津田梅子さんでしたが、なぜ韓国を蔑んでいると言われてしまうようになったのでしょうか。その理由はいくつか挙げられます。
①津田梅子が韓国に対して発した発言や著書から
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津田梅子さんがアメリカの雑誌に寄稿しようとしたエッセイの草稿の中に、朝鮮人は動物よりも劣るという表現がありました。この表現は、津田梅子さんの父親から聞いた朝鮮半島の話が元になっていると言われています。
その内容とは、朝鮮人のことを「いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人々がいるのです。」と述べられています。わりとしっかりと辛辣なこと書いてますよね。
この朝鮮人に対しての表現が、津田梅子さんが韓国を蔑んでいると言われるようになった理由ではないかと考えられています。
②津田梅子が韓国に抱いていた感情や態度から
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津田梅子さんが韓国人に対して抱いていたとされる感情や態度は、一般的には尊敬と同情でした。そのため、朝鮮の歴史や文化について学び、日本の植民地化に反対する立場をとっていました。
津田梅子さんは、朝鮮人を動物よりも劣ると軽蔑したという自身の誤った主張に対しても、自らのエッセイの草稿で反論しています。
また、朝鮮人の教育や自立を支援するために、自らの経験や知識を提供しようとしましたが、その声は当時の世論には届かず、蔑んだ表現だけが残ってしまいました。
③津田梅子の韓国に対しての行動から
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その発言では、朝鮮人への支援や見解を持っていましたが、実は津田梅子さんは朝鮮半島(韓国)へは一度も行ったことがありませんでした。
おそらく当時の朝鮮半島は、列強諸国と比較しても文化レベルも低く、わざわざ勉強をしにいくところではないかったものと考えられます。
そのため、留学の機会もなく、津田梅子さんは朝鮮半島の土地を踏むことはありませんでした。その事実は、韓国を蔑んでいるから行かなかったと言われてしまい、結果蔑んでいると取られてしまったのではないでしょうか。
当時の日本全体における韓国への対応
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当時の日本は、朝鮮半島を植民地化しようと考えていました。列強諸国の仲間入りをするため、国を強く豊かにする必要があったからです。
一般的に植民地化された国の原住民は労働力として働かされたり蔑すまれたりと、とても劣悪な対応をされていました。
現代にも植民地化されていた国には、その名残などが色濃く残っているところもあります。
そういった世論の中で、津田梅子さんのような考え方は、とても風当たりが強かったのではないでしょうか。ましてや昔の日本は男尊女卑の思想も強く、きっと津田梅子さんの発言を疎ましく感じた人も多かったものと思われます。
津田梅子が韓国について世間に伝えたかったこと
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津田梅子さんの韓国人蔑視をどう考えるかという問題には、実はまだ確定した答えはありません。しかし、津田梅子さんの発言や著作の真意や文脈を無視したり、現代の基準で判断したりするのは、歴史的事実に対する不正確さや偏見を生む可能性があるのではないかと思われます。
津田梅子さんの発言や著作は、日本と朝鮮の関係において、少数派意見を尊重したものでした。そのため、津田梅子さんの貢献や評価は、日本だけでなく韓国でも高く認められています。
津田梅子さんは、韓国だけではなく女性全体への教育や社会において、その地位向上や尊重することを世間に伝えたかったのではないでしょうか。
現代においては、そういった考え方は当たり前になってきていることを鑑みると、津田梅子さんは先見の明を持った教育者であったことは間違いありません。
正直なところ、新しい5000円の人ということでしか知りませんでしたが、その人となりなどはとても尊敬される方だと感じました。さすがお札になる人は違いますね。そして5000円札の人って、昔からもちょっとクセがあるというか、個性的な方が多いように感じます。これから5000円札を見るたび思い出すことでしょう。
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