今回は棚橋弘至(たなはしひろし)さんについてご紹介します!
棚橋さんといえば、プロレスラーとして有名ですよね、しかも、イケメンということで人気がないわけがない!
強い!カッコイイ!賢い!と3拍子揃った棚橋さんですが、その実態を紐解いていきましょう。
プロフィール
リングネーム:棚橋 弘至、マスクド・デビロック
本名:棚橋 弘至
ニックネーム:100年に1人の逸材、エース、太陽の天才児、ハイフライングスター、和製HBK、日本プロレス界のエース、ミスター東京ドーム
身長:181cm
体重:103kg
誕生日:1976年11月13日
出身地:岐阜県大垣市
所属:新日本プロレス
トレーナー:藤波辰爾、武藤敬司、佐々木健介
デビュー:1999年10月10日
トレーナーに皆さんも耳にしたことのある有名なレスラーの名前が並んでいますね。
藤浪さん、武藤さんあたりは、そこまで詳しくない方はあまりピンとこないかもしれませんが、佐々木健介さんにおいては、
鬼嫁の北斗晶さん共々、よくテレビなどで見る機会があるのではないでしょうか。
まさに、”日本プロレス会のエース”といった感じですね。
そして、プロレスラーですから、みなさんも気になっているフィニッシュホールドについても書いておきました。
フィニッシュホールドとは、そのレスラーの得意技というか、いわゆる必殺技と思ってもらっても大丈夫かなと思います。
フィニッシュ・ホールド
ハイフライフロー
いわゆるフロッグスプラッシュ。
元々使われていた技だが、2006年6月よりハイフライフローと名づけフィニッシャーとして使用され始め、
棚橋の代名詞的な技として知られるようになる。
本人曰く「ボディプレスにカッコいい名前をつけただけです」と語るほど単純明快な技だが、故にその汎用性が高く、
うつ伏せ状態の相手へ落下したり、立っている相手に放つ(形としてはダイビングボディアタックと同型)などして応用し、
2008年からはコーナーポストに頭を向けて倒れている相手への対策として、空中で90度旋回して方向転換しながら落下していく改良を施している。
足殺しの一環として相手の両膝に向かって落下していくパターンも使用しており、
大一番では確実に勝利を奪えるよう連発で繰り出したり、場外にいる相手に対して放つこともある。
棚橋はこの技をフィニッシュ・ホールドとして選択した理由として、
「初めて見に来る客に対してインパクトがあって痛みが伝わる」という点を挙げており、
技名の由来は「高く飛んで集中した状態」という意で、技の名前からその形と破壊力がイメージできること念頭に置きながら名付けたとされている。
ドラゴン・スープレックス・ホールド
藤波辰爾を師事する棚橋が2002年より使用し始めたスープレックス技。
ドラゴン殺法を藤波から直接指導を受けて以降、大一番でのフィニッシュとして用いられていた決め技だったが、
ハイフライフローを使い始めてからはその座を譲る形で使用頻度が低くなった。
それでも未だに説得力のある必殺技として大事な場面で用いられており、
2014年2月9日広島大会でハイフライフローを返した中邑から同技を決めて勝利している。
ここでも藤浪さんの名前が出てきましたね。
ドラゴン殺法の代名詞ともいわれる藤浪さんから直接受け継いでいるんですね。
こういう師弟関係のある必殺技ってこう胸にグッとくるものがありますよね。
お嫁さんの顔は?
イケメンで有名な棚橋さんですが、やはり気になるのは結婚や恋人について、ですよね。
調べてみたところ、すでに結婚されていて、お子さんもいるようです。
お相手は、中学時代の同級生とのことで一般の方ですね。
これほどのイケメンレスラーを射止めた方ですので、その顔もさぞやキレイな方なんでしょうか。
ここはぜひともその姿を見てみたい!
と思って探してみましたが、残念ながら画像を探すことはできませんでした。
画像を探しているときに、とても興味深い内容を見つけました。
調べてみると、ご結婚は2003年でしたが、この結婚についての報告は、2007年になっています。
そう、4年間も結婚については伏せられていたんです。
では、なぜ4年もの間、結婚について伏せられていたのでしょうか?
棚橋選手、刺される!?
実をいうとこの棚橋さん、それはそれはとてもモテるようで(そりゃそうだ)仲間内からも、
「いつか刺されるぞ」と注意されるほどだったとか。
そして、ついにその忠告も虚しく事件は起こってしまいました。
それは、棚橋弘至さんが新日本プロレスに入り3年が経った2002年11月のことでした。
当時交際していた原仁美さんという女性に刺されるという事件が起きたのです。
棚橋さんから「彼女ができた」と打ち明けられた原さんは、そうとうショックを受けたことでしょう。
しかし、そんなことを打ち明けていながらも、棚橋さんは原さんとの関係は続けたいと考えていたようですが(なんちゅー男や)、弄ばれたと感じた原さんは、絶望の中、棚橋さんの背中をナイフで2回刺してしまったのでした。
普通の人なら、ここで気を失うところですが、そこはさすがプロレスラー。
なんと刺された直後だというのに、原付きを自分で運転して病院まで行ったのだとか。まさに不死身!身体が丈夫というレベルではないと思いますが・・・
刺された傷は、意識不明になるほどの出血でしたが、無事復帰されています。
そして、実はこの時、現在の奥さんと同棲していて、さらに原さん以外にも交際相手が居たと言うんですから驚きを通り越して尊敬してしまいます。
そこが棚橋さんの魅力なのかもしれませんが・・・
ということで、時系列的に考えて、刺された事件の翌年に結婚していたことになり、
さらにその時には、2歳と3歳の子供がいたというのですから、さすがにそんな事件のあとに幸せいっぱいな報告は出来ない、と
報告を控えていたようです。
実はインテリ?
こういっちゃなんですが、プロレスラーって頭も筋肉バカ(失礼)なイメージがありますが、
棚橋さんは、立命館大学法学部に入学しています。
なんだか才能の塊みたいな人で、ちょっと現実味がなくなってきましたが・・・
夢は中日ドラゴンズの選手でしたが、僕は普通校の7番レフト。努力では届かない才能を感じて夢がつぶれた。でも、落ち込んでいる時間はもったいない。次はプロ野球を扱う新聞記者になろうと思い、マスコミ系や社会学部系の大学進学を考えました。本腰を入れて勉強したのは高3の夏からです。当時の睡眠時間が1日3、4時間。若いし部活を引退したばかりで無理が利き、1日20時間くらい勉強していました。
勉強を始めた時は偏差値50で、最終的には65くらいまで上がりました。受験した大学は全部合格しましたが、2月末に立命館大法学部が残っていた。記念受験のつもりでしたが、現役合格して目を疑いました。「勉強するのはお前自身」という父親の言葉を体現できたと思いました。
とても努力家なんでしょうね。
その大学でのプロレス同好会との出会いが運命の分かれ道だったようで、プロレスの入場曲に誘われるようにプロレス同好会へ。
3年生のときに、3度めの入門試験に見事合格。
大学中退も考えたそうですが、大先輩である長州力さんからの「何が起こるかわからないから大学は出ておけ」との忠告を受け、
4年生で58単位も残している状態から猛勉強の末、無事大学を卒業しました。
大学を卒業して本当に良かった。
プロレスラーだけど勉強ができる、というのが棚橋のレスラー像になったし、奥行きの深さにもつながりました。
今の棚橋さんを支えているものは、きっとこういった過去の経験や努力によるものなんでしょうね。
棚橋さんをますます好きになりました!
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