昭和を代表する歌手の一人、叶修二さんが、4年前の2014年2月21日に死去していたことが分かりました。
今回は、叶修二さんの死が4年後に発表された理由、叶修二さんの実家のお店はどうなっているのか?などを調べてまとめました。
叶修二さんのご冥福をお祈りすると同時に、叶修二さんの人生をふりかえってみましょう。
Contents
叶修二は14年に死去!4年後に発表した理由とは?
歌手の叶修二さんは2014年2月21日に死去していたことが最近分かりましたが…なぜ今まで公にならなかったのでしょうか?4年後に発表された理由についてまとめました。
叶修二の遺言だった?
2014年に亡くなったことが公にならなかったのは、叶修二さんの遺言だったのではないでしょうか。
昭和を代表する歌手の一人ですが、晩年は一線を退いでひっそりと生活を送っていたようなので、世間を騒がせたくないという思いがどこかにあったのかもしれません。
表舞台から退いで、第二の人生を歩いていた叶修二さん。自分が亡くなったときのことを、少し早めにご家族に託していたのかもしれませんね…。
叶修二の家族への配慮だった?
所属事務所は「遺族の希望で4年間伏せられておりましたが、遺族との話し合いの結果、了承を得て公表させていただきます」とコメントしています。
叶修二さんのご家族は、叶修二さんの死に対して大変深く大きなショックを受けていたのではないでしょうか。発表が今になったのは、所属事務所の遺族に対する配慮だと思われます。
大切な方が突然いなくなる…当たり前なんてないことを知らされたご遺族の心情を配慮してのことなのでしょう。
発表することを了承されたご遺族、そして発表した所属事務所双方の、叶修二さんに対する深い思いを感じます。
叶修二の実家のお店は現在どうなってるの?
新潟県にある叶修二さんのご実家は、お店だと言われています。現在はどうなっているのでしょうか?
叶修二の実家はレストラン!現在は閉店?
↑写真はイメージです
叶修二さんは、時期は不明ですが、歌手活動をいったん退き、実家の「B.friend」というレストランを経営していたようです。
現在はお店のHPも削除されていることから、閉店しているものと思われます。
いつ頃閉店したのかは不明ですが、2008年12月までは営業していたようです。
実家に戻り、レストラン経営者となっていた叶修二さん。第二の人生を大切に歩まれていたのでしょう。
叶修二のレストランってどんな感じ?
↑写真はイメージです
叶修二さんのレストランは、バーやカラオケを併設していたようです。音楽と食事を楽しむ空間で、経営は順調だったと言われています。
レストランバーってオシャレですよね。昼間はランチ、夜はディナーの後、お酒を楽しめたのでしょうか。大人が集う空間だったのでしょうね。
どこの飲み屋も混んでいたので、たまたま空いてたバーに入ると、ちょっとエスニック風な雰囲気でギターがたくさん置いてある店でした。
カラオケも常備してある。なにやら、還暦にはとても見えない、いかしたマスターが第二の人生として始めた店なのだとか。
そして、マスターが正体を明かす。叶修二。なんとマスターは昭和に活躍したプロ歌手だったのでした。「素敵なやつ」など、いくつかのヒット曲があったようです。ブログ「~Twilight Orange~ たりんの音楽片思い」より(2008年12月21日投稿)
上記のようなブログが発信されていたのですね。文面だけでも素敵なお店であることが想像できます。そして叶修二さんの人間性も透けて見えるようで…温かい気持ちになりますよね。
叶修二を襲った病気とは?
2014年2月21日に亡くなった叶修二さん。叶修二さんの命を奪った病気とは一体何だったのでしょうか?
叶修二の死因は腹部大動脈瘤による出血性ショック
叶修二さんの死因は、腹部大動脈瘤による出血性ショックだと言われています。
腹部大動脈瘤は、50~70歳が発生のピークで、平均年齢は65歳前後であり、男女比は6~8:1程度と圧倒的に男性に多いとされています。
2014年2月21日に亡くなった叶修二さんの年齢は、66歳。とても若く見られていた叶修二さん…病魔の恐ろしさを痛感します。
叶修二は突然死に近かった?
腹部大動脈瘤は、瘤を手で触れることもありますが、症状がないことが多く、検査で偶然発見されることも少なくありません。
瘤が大きくなって周りの臓器を圧迫するようになると、腰痛や腹痛、圧迫感などの症状があらわれてきます。瘤が破裂してしまった場合、痛みや出血性のショックが引き起こされ、高い確率で生命が奪われてしまいます。
叶修二さんも自覚症状がないまま、突然命を奪われたのかもしれません。
自覚症状がないと怖いですよね。病院で偶然見つかるケースもあれば、突然死を迎えてしまうケースも…。
大動脈瘤など血管の病気は、瘤が破裂する前に外科的な治療を行う必要があります。やはり定期的な検診が必要なんですね。
叶修二とはどんな人物?
叶修二さんとはどんな人物なのでしょうか?叶修二さんについて見ていきましょう。
叶修二プロフィール
本名:古俣修二(こまたしゅうじ)
誕生日:1948年1月1日
出身地:新潟県新潟市
ジャンル:歌謡曲
活動期間:1965年 – ?
レーベル:日本グラモフォン1965年、日本グラモフォンから「素敵なやつ」で歌手としてデビューし、テレビドラマ『スパイキャッチャーJ3』(東映、NET)の主題歌などのヒット曲を出す。
1967年には、レコード会社各社の競作で発表された1970年日本万国博覧会(大阪万博)のテーマソング「世界の国からこんにちは」のグラモフォン版の歌唱を務めた。
遠藤実の門下生。
その後、故郷の新潟に戻り、県内のイベントにも2013年までに特別出演していた。
2013年まで地元にイベントに出演していた叶修二さん。昔からのファンはとても喜んでいたと言われています。亡くなる前年まで歌手としての叶修二を生きた姿…高潔ですね。
叶修二のヒット曲とは?
★素敵なやつ / あの娘かわいい月見草 SDR-1057 1965年1月5日臨発
★青春小唄 / 青春の夜曲 SDR-1077 1965年4月新譜
★夢でいいから / いつもの人は SDR-1097 1965年5月5日発売
★鈴蘭の乙女 / 湖畔の誓い SDR-1116 1965年7月5日発売
★スパイキャッチャーJ3
★すゝきの丘 / 涙にキッス SDR-1137 1965年9月5日発売
★イカスやつ / 樹氷の花 SDR-1150 1965年11月5日発売
★太陽にキッスを / 涙の誓い
★アカシアの別れ / 面影
★抱きしめて抱きしめて / いつまでも愛していたい
★世界の国からこんにちは / 世界の国からこんにちは(instrumental)
★恋が消えた / ローラに逢いたい
叶修二さんの歌手活動の期間は、5年から10年で短めですが、いまでもカラオケでよく歌われているそうです。
息が長い歌手として人気が根強い叶修二さん…昭和の良さ、昭和の強さ、昭和の温かさが曲に込められていると思いました。
叶修二の家族はいる?
叶修二さんのご家族に関する情報はまったくありませんでした。
そこは叶修二さんがしっかり守っていたのでしょう。プライベートを全く出さない叶修二さんのポリシーは素敵ですよね。
この記事のまとめ
叶修二さんについての記事はいかがでしたか?
60代以上のファンが大勢いる叶修二さん。昭和を代表する歌手がこの世を去りました。そしてもうすぐ平成も終わろうとしています。
時代が移り変わっても、本物はいつまでも残り、愛され続けるということを叶修二さんから教えてもらいました。
改めてご冥福をお祈りするとともに、叶修二さんが残した歌を大切にしたいものです。
以上、叶修二は14年に死去していたが、4年後に発表した理由とは?実家のお店はどうなってるの?をお伝えしました。
コメント