今回は、名バイプレイヤーとして活躍中の、俳優・左とん平さんについての記事をご紹介します。
左とん平死去ってホントなの?!
左とん平さんが死去という噂が一時出回ったようです。一体どういうことなのでしょうか?
まずは左とん平さん簡単なプロフィールから見ていきましょう。
左とん平のプチプロフィール
1937年5月30日 生まれ、東京市王子区(現・東京都北区)出身。しまだプロダクション所属。
父親は郵政省の役人で、退官後旅館業、飲食店などを手広く経営していた。
高校卒業後進学せずぶらぶらしているのを見て、父親より新丸子にあるすし店の経営を任せられるが、長続きせず、劇団への道に。
お父様がいわゆるエリートで賢い方だったため、コンプレックスの塊だったという左とん平さん。でもそこから、自分にしかできない“俳優”という天職を見つけ出すことに成功したのです。
左とん平死去?!心疾患で緊急手術?!
2017年6月、左とん平が体調不良で倒れ、都内の病院に救急搬送されていたことが分かった。
複数の関係者によると、心疾患の緊急手術を受け、快方に向かっているが、6月下旬のミュージカルコメディー「死神」は降板予定とのこと。
2017年6月7日に飛び込んできたニュースに驚きました!この時、左とん平さんは御年80歳だったため、かなり危険な状態だったと言われていました。
ここから「死去」という誤報が流れたようです。失礼な話ですよねぇ!
いわゆる後期高齢者といわれる年齢なのに、ミュージカルに出演していた左とん平さん。「年齢に負けずに仕事をしている姿に勇気をもらった」という声がたくさん寄せられたそうです。
2018年2月24日永眠
2018年2月24日、午後3時57分、心不全のため、都内の病院にて、永眠されました。上記に記したように、2017年6月に手術をうけ復帰、亡くなる日まで、約9ヶ月間、闘病生活を続けていました。
病院から「心不全を起こした」との連絡を受け、家族が病院に到着する前に息を引き取ったとのこと。このことを妻である仁美さんは左とん平さんの事務所を通じてこう語っています。
「最期は穏やかな顔でしたし、スーッと逝ったんだと思います。怒ったりすることもなく、本当に優しい人でした。ゴルフが大好きで、あまり家でじっとしてる人ではなかったです」
30年以上一緒に活動してきた所属事務所の嶋田博社長は、左とん平さんについて、
「『仕事やりたい?』と聞くとうなずいたり、復帰に向けて頑張ってました。暇な時でも忙しい時でも不満を言わなかった」
と、語っています。
左とん平出演のCMの影響?!
2016年から、福島県郡山市に本社を置く、冠婚葬祭事業を主とした日本の企業アルファクラブ株式会社の「さがみ典礼」のCMに出演している左とん平。
「さがみ典礼といえば、左とん平」といわれるまでに浸透。そんな中、左とん平が心疾患で倒れたため、「自分の死期を予想してCMに出ていたのでは?」といった憶測が流れ、“左とん平死去”という噂につながったようです。
毎日のようにさがみ典礼のCMが流れているときに、左とん平さんの緊急手術というニュースが飛び込んできたので、“死去”に繋がってしまったようですね。でもこれは大変な間違いですよね…。
左とん平さんは笑っていたそうですが…さすが肝が据わっていらっしゃいますね!
不謹慎な話なのに、笑いとばせる左とん平さんは、心が広いなと感じました。
左とん平の優しい笑顔の裏に潜む黒い顔とは?
左とん平さんといえば、あの優しい笑顔。ですが…どうやらブラックな一面もあるようです…!
左とん平の数々の逮捕歴とは?大のバクチ好き?!
左とん平さんは、何度か逮捕歴があるようです。どうやらバクチが大好きのようですね…。
1976年逮捕
1976年10月、トランプで賭け事をし、王子署に逮捕された
このとき左とん平さんは、あまり売れていなかったため、世の中ではスルーされたようです…。
この事件がきっかけで、左とん平さんは実家と距離を置き始めるようになったそうです。罪悪感があったのかな…お父様に顔向けできないと思ったのでしょうね。
1981年逮捕
1981年1月、東京都内の一流ホテルの貴賓室で、ポーカーにて賭け事をし、逮捕。左とん平は、1回30万から50万、400回以上ポーカーで賭け事をしたと言われている。
左とん平を含め13人の客がいて、総額1億5千万円の大金が動いたと言われる。左とん平は50万しか負けておらず、強運ともいわれた。
1980年代は左とん平さんも有名人になっていたため、世間からのバッシングもひどく、謹慎することに。1980年代は、左とん平さん以外にも、芸能界で賭博が大流行し、謹慎に追い込まれた芸能人が多かったと言われています。
賭博の胴元は反社会勢力とつながるので、今の芸能界でもかなり厳しく罰せられます。
でもこの時代って、ちょっとなぁなぁな雰囲気があって、そこまで厳しくなかったようですね…。
賭博にしても、不倫にしてもそこまで追求されなかった1980年代…今は厳しすぎるのでしょうか?それとも昔が甘かったのかな…?
左とん平がバクチにハマった理由は?
「バクチはストレス解消なんだよね。8割方負けるけど、負けてもストレスにならない。負けるとわかっていても辞められないわけよ。負けてもそれが働く意欲になるからね。
今までどのくらい負けたかな?2億?3億?かるくマンション買えたかな?考えるといやになるから、やめとこか」
上記のように語っていた左とん平さん。スリルがストレス解消につながると言われるバクチ。
勝ち負けではなく、アドレナリンが放出されるあの緊張感が病みつきになるのでしょうね…。
今はもちろんしてないそうですけど…でも左とん平さんを見ていたら、人生そのものがバクチって感じがします。
西遊記での猪八戒抜擢は裏があった?
左とん平さんは西遊記II(1979年 – 1980年、NTV)の 猪八戒役を演じ、お茶の間で広く知られるようになりました。でもその裏ではいろんなことがあったようです…。
西遊記とは?
石から生まれた猿・孫悟空の生い立ちから始まる。天界から追放されて500年後、三蔵法師、沙悟浄、猪八戒との出会いを経て天竺への取経の旅をするという冒険活劇。
美人女優・夏目雅子さんが三蔵法師を演じ、平均視聴率20%をマーク。大人から子供まで幅広く楽しめるドラマとして話題となりました。
西遊記に登場する猪八戒とは?
お調子ものでだまされやすく、食べ物に弱い。美女が出てきておいしそうな料理が出てくると、美女よりも料理に目が行くタイプ。
そして結局その料理に睡眠薬やらが入っていて人質になったり、
呪術で魔法をかけられて、仲間達を殺そうとしてしまったりする。
動くことを面倒くさがっており、最後に馬を引き連れて次の土地へ行くときには「腹減った~」などのセリフがお決まり。
知的で美しい三蔵法師、ちょこちょこ動く孫悟空、ずる賢い沙悟浄、そして食べることが大好きな猪八戒。バラバラの個性がよくまとまったなぁと思うチームです!
左とん平が猪八戒に選ばれた理由とは?
当初、猪八戒は俳優・西田敏行さんでしたが、途中で左とん平さんに交代したのです。左とん平さんが選ばれた理由とは一体…?
西田敏行が多忙だった?!
西田敏行さんが俳優としてブレイクし始め、西遊記とのスケジュールが合わなくなったためだと言われています。そのため、似たような体格の左とん平が選ばれたのでしょう。
左とん平さんとしては願ってもない大チャンスだったのではないでしょうか?でもそこまで人生甘くなかったようです…。
西田敏行の家庭の事情?!
西田敏行さんのお嬢さんが学校で「お前のお父さん、豚なんだな!」などと言われ、虐められるようになり、登校拒否を起こし始めたそうなんです。やりがいを感じていた西田さんも、お嬢さんのことを考えて降板したと言われています。
これは子供にとっては辛いですよね…特に小学生くらいの子供は、残酷ですからね。
親が演じる役が社会に与える影響により、俳優の子供は天国と地獄を見るそうです。
称賛されたり、いじめられたり…そのことで家庭内が壊れることも多々あるそうです。
単に演じているだけなのですが、やはり社会に与える影響は計り知れないのですね。これが芸能人一家の光と闇なのでしょうか。
左とん平は猪八戒を演じ、大ブーイングを受けた?!
左とん平さんははりきって猪八戒を演じていたのですが、ブーイングの嵐だったそうです。
左とん平さんはそれまで、チンピラ役などが多く、そのイメージのまま視聴者は見ていたようで、「イメージと違う」といった声が多く届いたそうですようです。
西田敏行さんが青年座の舞台俳優、左とん平さんは喜劇役者として差別され、最初はやりにくかったようです。
最初は、猪八戒が西田敏行さんから、左とん平さんに交代したことに気づかない視聴者もいたそうです。なんとなく似ているからでしょうか?
だんだんと左とん平の猪八戒を演じることで、ブーイングも収まったようですよ。左とん平さんはそういう逆境に強いタイプなので、最後まで演じきれたのでしょう。
今はネットでたたく時代ですが、昔は直接テレビ局に電話や投書ががんがん届いていた時代。ここでめげない左とん平さんは男らしいです。
ニヤリと笑いつつ、同時にゾクっとしたものを与えるバイプレイヤー・左とん平さん。またドラマでお会いしたいですね!
この記事のまとめ
左とん平さんに関する記事はいかがでしたか?
今は身体の調子をみながら、仕事を続けている左とん平さん。さがみ典礼のCMを見るとホッとします…。これからも無理をせず楽しく演じてもらえたらと願っています。
以上、左とん平死去?!数々の逮捕歴とは?西遊記での猪八戒抜擢には裏があった?!をお届けしました。
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